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仕事運・金運向上に効果あり!千葉有数のパワースポット 安房神社をご紹介!

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今回ご紹介するのは、千葉県館山市にある「安房神社」です。古くからある由緒正しき神社で、特に仕事運や金運についての御利益抜群とされています

房総半島のほぼ南端にあるので、都心からのアクセスは決して良いとは言えないかもしれませんが、それでも行く価値のある神社です。特に出世したい人、企業の経営者、商売を営んでいる人は一度は参拝しておくべきです。

周囲は豊かな自然環境にも恵まれているので、家族でお出かけして自然と触れ合いたい、いう人にもおすすめできるスポットです。

安房神社の由来

安房神社の創始は今から2600年以上前、神武天皇が御即位された皇紀元年(西暦紀元前660年)に遡ります。当時、神武天皇の御命令を受けて開拓を進めていた天富命(あめのとみのみこと)は開拓地を求めて房総半島の南端に上陸しました。

その時に上陸した布良浜にある男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされたのが現在の安房神社の起源となります。奈良時代の養老元年(717年)には、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に遷座されました。

平安時代には「延喜式」(えんぎしき)の「神名帳」(じんみょうちょう)に記載された式内社(しきないしゃ)となり、その中でも特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)となりました。「延喜式」とは古代律令制における律令の施行細則をまとめた法典のことで、そのなかで祈年祭奉幣にあずかる神社二千八百六十一社 (天神地祇三千百三十二座)を国郡別に羅列した当時の官社一覧表が「神名帳」です。

この神名帳に記載された神社が「式内社」です。 つまり、式内社は平安時代にすでに官社として認定されていた由緒ある神社ということになります。

その後、時を経て新たな社格制度が制定され明治時代には、「官幣大社」(かんぺいたいしゃ)という最高位の社格が与えられ、大東亜戦争終結時まで国家の管理下に置かれます。戦後はGHQによる「神道指令」によって、それまでの社格制度は全て廃止されてしまいますが、戦後発足した全国の大多数の神社を包括する団体である神社本庁によって、特に優れたお宮に定められる「別表神社」(べっぴょうじんじゃ)の指定を受けることとなり、現在に至ります。

このように、安房神社は古代から現在に至るまで、非常に由緒ある格式の高い神社として、崇拝を集めているのです。

安房神社の祭神

安房神社の主祭神は日本の全ての産業創始の神とされる「天太玉命(アメノフトダマノミコト)」 です。フトダマは遠い昔、天照大御神のお側近くにお仕えになられた神様で、中臣氏と共に古代朝廷の神事を担った「忌部氏(いんべうじ)」の祖神に当たります。

朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った忌部氏はその後、中臣氏の勢力拡大により朝廷の祭祀の職から外され、政治の表舞台から姿を消しますが、繊維産業や建設業をはじめ商工業の世界で大活躍をして、多くの産業を作り出した名門氏族です。

そして、フトダマはそんな忌部氏の祖であり、忌部氏の神々を統括する神様です。ちなみyに、戦国武将の織田信長は元を辿ると忌部氏に行き着くので、その祖神はフトダマです。信長は楽市・楽座を行い、堺市の経済を活性化させたことでも有名ですが、それらの功績もフトダマのパワーが少なからず影響しているのかもしれませんね。

このようにフトダマは経済活動の神であり、金運に強い神様なので、特に商売をしている人であれば一度は参拝に行くべき神社です。

なお、安房神社にはほかにも、フトダマの妃神である「天比理刀咩命(アメノヒリトメノミコト)」をはじめ、出雲(島根県)忌部の祖で装飾・美術の神でもある「櫛明玉命 (クシアカルタマノミコト)」などの忌部五部神や、海上交通を守護される海の神「市杵島姫命 (イチキシマヒメノミコト)」他、様々な神様が祭られています。

安房神社へのアクセス

安房神社は千葉県・房総半島の最南端にあります。都心に住んでいる人にとっては必ずしもアクセスが良いとは言えない場所かもしれません。広大な敷地があり駐車場も広いので車で行くのがおすすめです。

その場合、東京方面からは京葉道路で千葉方面に向かい、館山自動車道と富津館山道路を経て、終点の「冨浦」で降り、国道127号線と410号線を走って安房神社がある館山・白浜方面に向かいます。「コメリホームセンター大神宮店」を過ぎてすぐに左折します。

そのまま直進すると安房神社の白い鳥居が見えてきます。鳥居の隣に立っている社号標は日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた連合艦隊司令長官の東郷平八郎元帥の揮毫によるものだそうです。

神奈川方面から行くのであれば、東京湾アクアラインを通って木更津まで行き、そこから館山自動車道に入るほうが近いでしょう。なお、車で行く場合は、2~3月の花摘みシーズンや、7~8月の海水浴シーズンは道路の大混雑が予想されるので、時間に余裕をもって出発したほうが良さそうです。

電車で行く場合は、東京駅・京葉線地下ホーム1番線から内房特急「さざなみ号」に乗り(約2時間15分)、「館山駅」で下車します。そこからJRバスに乗って20分くらいすると、「安房神社前」というバス停に止まるのでそこで下車して、徒歩5分程度です。

東京駅や横浜駅から「館山駅」まで高速バスで行くこともできるので、車が無い場合、電車で行くよりもこちらを利用したほうが早いかもしれません。

境内の施設

鳥居をくぐるとその先には砂利の敷いてある桜並木の参道が続きます。毎年桜のシーズンになると多くの見物人で賑わうそうです。参道を進むと、右側には車お祓い所と「あづち茶屋」という喫茶店があります。

そしてさらにその隣には御神池があります。

石段を登り、もう一つ鳥居をくぐると境内です。

境内は狭すぎず広すぎずといったところですが、古い歴史を感じさせる雰囲気があります。

この日は行事が実施されない日であったうえに平日ということもあり、あまり大勢の人で賑わうというよりも、何人かの参拝客が静かにお参りをしていました。

境内に入ってすぐ左には「授与所」があり、ここで御祈祷の申し込みや、お守り・お札の購入ができます。

「祈願木」と書かれた木箱も置いてあります。木板に願い事、誓い事、神様へのお礼の言葉などを書き込んで、初穂料1,000円とともにこの箱に納めます。収めた祈願木は翌朝に行われる日供祭で祈願してくれるそうです。日供祭とは神様に食事をお供えする神事で、毎朝執り行われます。

御祈祷を申し込んだら参拝者の控え所として使用されている「額殿」で待機します。「額殿」は昭和15年に建造されたもので、寺崎武男画伯の絵画を展示していたためこう呼ばれているそうです。用意ができたら、神主さんが声をかけてくれます。

御祈祷は下記の「拝殿」の中で行われます。そして拝殿のさらに奥に「本殿」があります。昭和52年築の拝殿は鉄筋コンクリート造りですが、明治14年築の本殿は木造で屋根は檜の樹皮を用いて施工する日本古来の歴史的な手法である檜皮葺きです。本殿には天太玉命をはじめ忌部の神々が祀られています。

なお、安房神社の祭神は伊勢神宮にも祀られていることから、本殿と拝殿の建築様式は伊勢神宮と同じ神妙神明造りとなっています。

この主祭神を祀る本殿、礼拝のための拝殿、お供え物を調理する「神饌所」(しんせんじょ)の3施設を合わせて「上の宮」と呼ばれています。

上の宮に向かって左手には、「御仮屋」があります。毎年8月10日に行われる「例祭」の際に出祭してきた周辺の9神社( 洲宮神社・下立松原神社・布良崎神社・日吉神社・相浜神社・犬石神社・八坂神社・熊野神社・白浜神社 ) からの神輿を納めるための施設です。

しかし、現在は各神社とも神輿の担ぎ手である青年団の人手不足のため、残念ながら行われていないそうです。毎年9月10日には 御仮屋の神々を祀る祭典である「御仮屋祭」(おかりやさい)が行われています。

上の宮に向かって左手には「琴平社」があります。ここは航海の安全を守る讃岐・金刀比羅宮の御分霊をお祀りする末社です。もとは安房神社とは別の場所に祀られていたものがここに移動されたそうです。

拝殿の手前には巨大な岩のような海食岸が横たわっていますが、これをくりぬいて造られたのが「厳島社」です。社殿ができる前にはこれを岩座として、天あるいは吾谷山から招いた原始的な祭神をお祀りしたと考えられています。現在は市杵島姫命(弁天様)が祀られています。

そして、「厳島社」の隣には「日露戦役記念碑」がありました。明治39年(1906年)に神戸村の恤兵会(じゅっぺいかい)によって建てられたそうです。神戸村出身の内地勤務3名・海外出兵88名の戦役従軍者の名が記されています。

社号標は東郷平八郎元帥の揮毫でしたが、この記念碑の揮毫は同じく日露戦争で日本の勝利に大きく貢献した陸軍・参謀総長の大山巌元帥によるものだそうです。

境内の奥には「館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑」(写真左)と「海軍落下傘部隊慰霊碑」(写真右)があります。

「館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑」は昭和45年10月10日に建てられ、平成12年10月10日に再建されました。神戸地区にあった館山海軍砲術学校の第三期兵科予備学生229名の戦没者の名が記されています。慰霊碑建設の際には戦没者の人数にちなんで、境内にソメイヨシノの桜が229本が植えられています。

「海軍落下傘部隊慰霊碑」は昭和48年に元海軍落下傘部隊一同によって建てられました。横須賀鎮守府の第一特別陸戦隊43名、第三特別陸戦隊46名の戦没者名が記されています。こちらは当時の首相田中角栄が揮毫したそうです。

毎年5月27日には戦前の海軍落下傘部隊の戦没者を慰霊する「海軍落下傘部隊慰霊祭」が、10月10日には館山砲兵科第三期会の戦没者を慰霊する「館砲三期会慰霊祭」が行われています。意外にも日露戦争や海軍との関連が深いのが印象的ですね。

このほかにも、境内には忌部氏の祖神で安房開拓の神でもある「天富命(あめのとみのみこと)」を祀っている「下の宮」や、県の指定遺跡である「安房神社洞窟遺跡」などがあります。

ちなみに、毎月1日は国家の安泰・皇室の繁栄・氏子崇敬者の健康と安全を祈願するための祭典である「月次祭 (つきなみさい)」が行われるほか、一年を通して30種類近くの年中行事が行われています。

特に、神社本庁からの幣帛をお供えし、国家の安泰・皇室の弥栄・国民の安寧を祈る「例祭(れいさい)」(8月10日)や、安房神社を含めた11基の神輿と5台の山車が集結する「国司祭(こくしさい)」(9月中旬)などは大規模な行事なので、見学してみるのもいいかもしれません。

100選に選出されているスポットも多い他の観光名所

安房神社がある千葉県館山市は房総半島の南端に位置しています。太平洋に面しているため、暖流の影響を受け、温暖多雨な地域です。豊な自然環境に恵まれていて、百選に選出されている景勝地も結構あったりします。

例えば、安房神社の西側には「森林浴の森日本100選」に選出されている「千葉県立館山野鳥の森」です。22.4haという広大な土地に、マテバシイ・コナラ林とヤブニッケイ・ヒメユズリハ等の照葉樹が茂り、キジ・コゲラ・ヒヨドリ・ホトトギスなど春夏秋冬に合わせた野鳥が観察できます。

「グリーンシャワーコース(3.4km/2.5時間)」、「バードウォッチングコース(2.7km/2.0時間)」、「ファミリーハイキングコース(1.9km/1.5時間)」といったハイキングコースも用意されているので、都会の喧騒を離れて自然と触れ合うにはピッタリの場所です。

散策だけではなく、ジオラマ展示コーナーや野鳥情報コーナー、大型映像装置がある多目的ホール、図書コーナーや工作体験コーナーがあるホールなどの展示施設もあります。

この館山野鳥の森には年間80,000人の人々がバードウォッチング・ハイキング・自然散策などに訪れており、森林浴の森日本100選の他にも「ちば眺望100景」、「健康と癒しの森30選」、林野庁の「森林浴の森日本100選」にも選出されています。

安房神社のすぐ隣にあるので、参拝のついでに訪れてみるのもいいと思います。

他にも、「東京湾100選」には「洲埼灯台」と「沖ノ島」が、「日本の道100選」には「房総フラワーライン」が館山市から選出されています。

参拝に行った際にはこれらの見どころに訪れてみるのもいいかもしれません。

<スポット情報>
名称: 安房神社
所在地: 〒294-0233 千葉県館山市大神宮589番地 
アクセス
 【電車】 JR内房線「館山駅」からJRバスで約20分
 【車】 館山自動車道を館山方面に南下し、終点「冨浦」で下車。国道127号線で館山・白浜方面へ。
営業時間
神符守札の授与、御朱印 等:午前8時30分~午後5時
ご祈祷、水取り・砂取り 等:午前9時~午後4時30分


問い合わせ先0470-28-0034
公式サイト
安房神社公式ホームページ
安房神社公式facebook

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